2024/06/05 着物ふく
作り手と問屋と呉服屋とエンドユーザー
行きつけの呉服屋からの受け売り話
小千谷縮と染め帯 リサイクル品。呉服屋が間違って安く売ってしまった!
着物は高い。エンドユーザーが普通に支払う着物の価格は、製造原価の数倍である。
着物の作り手の報酬は安い。しかも、どんどん着物が売れなくなって、仕事を続けられず、途絶えてしまう技術も多い。好きなだけではもう支えられない物作りだ。
安い値段で着物を作らせた問屋は、かかった経費や利益を乗せて呉服屋に着物を売る。
そして、呉服屋は、かかった経費や利益を乗せてエンドユーザーに着物を売る。
だから着物は高いんだ。問屋は、着物を流通させるだけで儲けている。もし、エンドユーザーが作り手から直接着物を買ったら、エンドユーザーはもっと安く着物を手に入れられるし、作り手ももっと儲かる。ウィン・ウィンじゃん!
それ、ホント?
いやいや。
そもそも、誰が着物を作っている?
作り手に決まっているじゃん!は、半分正しく、半分間違い。
染め物にしても、織物にしても、こんな着物を作ろう!と決めるのは、問屋の仕事。
どんな着物がエンドユーザーに好まれるのか、一生懸命考える。
作り手は、問屋からの指示で着物を作る。そして、問屋からお金(手間賃)を貰う。
だから問屋がいなくては、着物が出来ないのだ。
問屋は着物製作の第一のリスクを負う。
そして、問屋は、自分で全国の人々に着物を売り歩くことは出来ないから、呉服屋に着物を売る。
呉服屋は、その着物が売れるかどうかを見定め、問屋から仕入れる。
自分の顧客がどんな着物を好むか、どんな着物が売れやすいか?問屋にある沢山の着物の中から選ぶ。売れない着物を仕入れたら、大失敗。真剣勝負だ。
呉服屋は着物購入のリスクを負う。
この過程をたどって、着物は作り手が手にするお金の数倍の値段でエンドユーザーに売られる。
それが悪いのか?どんな製品も製造原価の何倍もの値段で売られているのに、呉服屋や問屋が悪者になるのは、おかしい。
ところで、今のエンドユーザーは本当の着物好きだ。昔みたいに、お嫁入りだから、とか言って、着物がたいして好きでもないのに着物を買う人はあまりいない。
着物好きは、あれこれ、沢山の着物が欲しい。でも、着物は高いのだ。沢山買うことは出来ない。
そこで、世の中には、リサイクルの着物というものがある。新品の着物とは比べものにならないくらい安い値段で売っている。
かくして、沢山着物が欲しいエンドユーザーは、リサイクルの着物を買う。
すると、ますます、新品の着物が売れなくなる。そして、作り手も、問屋も、呉服屋も、商売をやっていくことが出来なくなるのだ。
「作り手を守りたい。着物の技術が途絶えるのは残念」と言うエンドユーザーは多い。
しかし、この状況を理解し、何とかしないかぎり、着物は消えてゆく。
せめて、リサイクルの着物にまっとうな値段をつけるべきだ(と私の呉服屋は言う。時々間違えて、安い値段をつけてしまうが…)。
かくいう私も、リサイクルの着物はよく買う。お買い得ならその方が断然幸せだ。
産地の作り手に対し、何の言い訳も出来ない。