2019/01/07 弁護士のひとりごと
レビンさん-急性腎不全と闘った猫⑥
よる、ぼくはひとりで、死のきょうふと、たたかった。
ぼくのとなりのてつごうしには、ぐあいのわるそうな、犬がいる。
くすりの、いやなにおいも、じゅうまんしている。
でも、ぼくは、誇りたかいねこだ。ひとりでたえてみせる。
あさになった。日のひかりのささない、へやだけど、ぼくにはわかる。
ごぜん10じ、ぼくのようだいは、にんげんの目にもわかるほど、わるくなった。
「せんせい」は、ママにでんわをかける。
「レビンちゃんは、あれっきり、おしっこがでていません。それに、ようだいがわるくなっています。もう、むかえにきてやってください」
しばらくして、ママとパパがやってきた。
「はやく、たいいんの、てつづきをしてくれ」パパの、いらつくこえがする。
ママは、ぼくのいきがあらくなっているのを、かんじている。
「レビンをだいてかえりたいのです。バスタオルかなにか、くるむものをいただけませんか?」
「レビンをつめたい、キャリーケースの中にいれてかえるのはいや。だきしめてかえりたい」ママの心がさけんでいる。
「せんせい」は、ちいさなもうふで、ぼくをくるみ、ママにわたした。
ママは、ぼくを、だきしめて、くるまのこうぶざせきに、のりこむ。
ぼくは、誇りたかいねこだ。だっこは、だいきらい。ママもしっているはずだ。
それでも、ママは、ぼくを、だきしめずにはいられない。
ぼくも、15ねんものあいだ、飼いねことして生きてきた。だから、わかる。だきしめる、というにんげんのこういは、愛している、っていうきもちのあらわれなんだ。
ぼくは、おとなしく、ママのうでに、だかれる。あたたかくて、ママのにおいがする。きもちいい。
パパは、家にくるまをはしらせる。はやく、はやく、1びょうでもはやく、家にかえろう。
おひるまえ、ぼくたちは、家にかえりついた。
パパは、ぼくをリビングのまどぎわへつれていく。ここは、ぼくのおきにいりのばしょのひとつだ。
パパがおやすみの日は、いっしょに、ひなたぼっこをするばしょだ。
ママとパパとまーくんが、ぼくのからだをなでてくれる。
ぼくのいきづかいは、さらにあらくなる。からだのじゆうも、きかなくなってきた。
「レビンのからだが、つめたくなっている」まーくんがさけぶ。
ぼくのからだに、つめたいものがふりかかる。ぼくをみおろす、ママの目から、なみだがでている。
ぼくのあたまのなかで、15ねんかんの、おもいでがよみがえる。
ぼくは、家じゅうをはしったり、とんだりした。
ママの、うでやあしをまくらにして、ねむった。
にんげんのごはんをねらって、いたずらもした。
どんなにしかられても、家のあちこちで、つめをといだ。
この後、現行犯逮捕
暑くても、寒くても、ママの腕が好き
お気に入りの場所の一つ、パソコンデスクの椅子。「ニンゲンノ着席ヲ禁ズ」
ぼくの目がうるむ。
ぼくは、誇りたかいねこだ。死ぬときは、ほんのうてきに、ひとりで死にたいとおもう。
ぼくは、つめたくなったからだを、もちあげ、まどのそばにある、こたつへはいる。じぶんじしんの力ではいる。
すると、ママは、だまって、こたつのでんきをつけ、あしをいれてくれた。
ぼくは、しばらく、ママのあしのにおいをかぎ、あしくびをまくらにして、よこになった。
あたたかくて、ママのにおいがする。きもちいい。
ぼくは、いつのまにか、うつら、うつら、ねむってしまった。にゅういんいらい、あまりねむれていなかった。とてもつかれている。
しばらくねむると、あれほど、あらかったいきは、すこし、おだやかになった。
ママは、なにもいわず、しらんかおで、ぼくをねかせてくれた。
ああ、ぼくは、にんげんに愛された、しあわせな、ねこだ。
ゆめのなかに、かみさまがあらわれた。
「ざんねんだが、そろそろじかんだ。しゅくだいのこたえはわかったかね?」
・・・・・・わからない。けっきょく、ぼくは、しゅくだいのこたえがわからないまま、死ぬのか?
「ことばで、こたえをいうことが、できないかね。でも、じっさいのところ、おまえはよく飼いねこのつとめをはたしたよ。」
「だから、ごうかくてんをあげよう。ごほうびに、このまま、ねむったまま、天へのぼらせてあげよう」
そのしゅんかん、ぼくのからだに、かみなりがおちたように、しゅくだいのこたえが、ふってきた。
・・・そうだ、にんげんを愛し、にんげんに愛された、飼いねこのつとめは、にんげんに、神のそんざいを知らしめること。おのれの生きざま、死にざまをとおして。
そうだとすれば、そんな死にかたは、ちがう。ちがう、ちがう、ちがう!だんじて、ちがう!!
ぼくの心のさけびは、おおきなうなりごえになった。
ママがさけぶ。
「レビンがこたつから、でるって!」
ぼくとママのこえに、おどろいたパパとまーくんがかけつける。
ぼくは、どくそがたまり、すっかりつめたくなったからだで、さいごの力をふりしぼり、ひっしにたちあがり、こたつをでる。
そして、そこで、たおれた。ママと、パパと、まーくんがぼくのからだを、なでてくれる。
3にんとも、しっかりと、ぼくをみつめてくれている。
・・・・・・ぼくは、飼いねこの、さいごのつとめをはたす。ぼくのさいごを、ちゃんとみて。
ママは、目からとめどなくでる、なみだを、もうぬぐおうともしない。
だいじょうぶ。ぼくは、また、ちじょうにうまれてくる。
そのとき、ママはぜったいに、ぼくをみつける。ぼくがどんな毛がわをまとっていても。おとこの子としてうまれていても、おんなの子としてうまれていても。
そのとき、ぼくのからだには、「ビビビッ」と、でんきがはしるんだ。
そして、ぼくたちは、またいっしょになれる。かぞくになれる。
そのときまでのおわかれだ。
神さまがやってきた。
「よくやった。よく、しゅくだいのこたえがわかったね。おまえは、たいした、飼いねこだ」
そういって、神さまは、ぼくのからだから、ぼくのたましいをひきはがしにかかる。
・・・ああ、もう目がみえない。またあう日まで、ほんのすこしのあいだだけ、さよなら・・・・・・・・・・・・。
我が家の愛猫、レビンは、平成30年12月24日午後1時50分、4度目の急性腎不全からの生還がかなわず、お星様になりました。
享年15歳4ヶ月。
我が家へやってきて15年あまり。家族を愛し、たくさんの幸せをくれました。
人間には決して真似のできない、立派な最期でした。